感情が嘆く場所や時間帯に注意を払いなさい。
感情が喜ぶ場所や時間帯に注意を払いなさい。
あなたは気づいていないだろうが、潜在意識に刷り込まれた何かが隠れている。
なぜ、その場所なのか、なぜその時間帯なのか、探りなさい。結果には必ず原因がある。間違いなく原因が潜んでいる。
時間を遡って、その場所で何が起こっていたのか?もしくは、その場所では何も起こっていないが、その場所にいる時間帯に外で何が起こっていたのか?
原因を見つけた時、あなたは次のステージの課題に進むことになる。
感情が嘆く場所や時間帯に注意を払いなさい。
感情が喜ぶ場所や時間帯に注意を払いなさい。
あなたは気づいていないだろうが、潜在意識に刷り込まれた何かが隠れている。
なぜ、その場所なのか、なぜその時間帯なのか、探りなさい。結果には必ず原因がある。間違いなく原因が潜んでいる。
時間を遡って、その場所で何が起こっていたのか?もしくは、その場所では何も起こっていないが、その場所にいる時間帯に外で何が起こっていたのか?
原因を見つけた時、あなたは次のステージの課題に進むことになる。
マジシャンは派手な赤い玉に注目させて、地味な種を静かに隠す。小さな身振り手振りに注目させて、大きな仕掛けをゆっくり消す。彼らは注目をずらして、盲点に種や仕掛けを仕込む。
車の速度が上がると運転手の視界が狭くなるように、目の前で繰り広げられているにもかかわらず、盲点に隠れたものは認識が合わないため、解釈できず、隠れる。
7桁以上の数は、画面を切り替えた瞬間、驚きの速さで忘れる。小さなものは大きくまとめることで消える。
人の小さな動きに注目させて、地球の大きな動きが隠されている。
色のある世界は別世界である。色の濃淡が語る感動の物語が広がっている。色盲や色弱など視覚障害者が色のある世界を発見した時の振る舞いを見るとよく伝わる。百聞は一見にしかず。動画を見れば、あなたも世界を再発見できる。
水は、エネルギーの塊である。
水は、温度によって自由自在に形を変える。
水は、上のもののごときであり、下のもののごときである。
水は、思考そのものである。
水は、あらゆるものを壊し、あらゆるものを創造する。
水は、岩を砕き、木を育てる。
水は、生命の源である。
水は、汚れを洗い流し、精力を浸透させる。
水分を十分取るだけで健康を維持できると言う医師さえいる。
空気は、エネルギーの塊である。
空気は、温度によって自由自在に形を変える。
空気は、上のもののごときであり、下のもののごときである。
空気は、思考そのものである。
空気は、あらゆるものを壊し、あらゆるものを創造する。
空気は、岩を砕き、木を育てる。
空気は、生命の源である。
空気は、汚れを洗い流し、精力を浸透させる。
空気を十分取るだけで健康を維持できると言う医師さえいる。
水が上に昇ると大気の雨雲となり、空気が下に降りると河川の波風となる。水と空気は同じ物質の対極の表れであり、思考する生命力なのである。
瞑想が気分を定着させる。
気分が息を定着させる。
息が声を定着させる。
声が言葉を定着させる。
言葉が知識を定着させる。
知識が思考を定着させる。
思考が感情を定着させる。
感情が情動を定着させる。
情動が態度を定着させる。
態度が姿勢を定着させる。
姿勢が行動を定着させる。
行動が習慣を定着させる。
習慣が性格を定着させる。
性格が運命を定着させる。
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできない。できるのは、後からつなぎ合わせることだけである。だから、我々は今やっていることが、いずれどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。私はこのやり方で後悔したことはない。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれた。
このジョブズのスピーチは示唆に富み、困難に立ち向かう勇気を与えてくれる。
二次元の平面上に住むフラットランドの物語にも、三次元の物体が通過する途中は、断面図しか認識できず、後から形をつなぎ合わせて像を結ぶしかないとある。
あなたの住む現実世界を、巨大な何かが通過していて、いずれどこかで点と点がつながり、形が分かると信じるしかない。
心が悲鳴を上げているなら、あなたは一つの山を登り切ったのだ。その山に連なる新しい山を目指しなさい。居場所を変えるか、付き合う人を変えるか、時間の使い方を変えるか、いずれかを変える時が来たのだ。よそ者と馬鹿者と若者になる時が来たのだ。
都会から田舎に移住したり、上場企業から地場会社に転職したり、もしくはその反対に、田舎から都会に上京したり、地場会社から上場企業に転職すると、よそ者扱いされるのは、目線がずれているからである。同じ形を指でなぞれない者は、よそ者である。
よそ者は、同じ形をなぞれない馬鹿者でもある。不慣れだから、なぞりたくてもなぞれない。優れた知識や技術があるから、原始の形をなぞりたくもない。
思考の地図と感情のコンパスを頼りにして、新天地に移り住む勇気と行動を持ち合わせたあなたなら、ソクラテスが無知の知を悟ったように、若者の無知を尊び、先入観なく、偏見なく、先人と同じ形を指でなぞり、同じ言葉を発し、同じ食物を食べることで、住む世界のギャップを埋めることができる。
催眠とは、緊張とリラックスの間に暗示を差し込むものである。イメージを具現化する集中力のある人ほど暗示にかかりやすい。異性にもてたい、賢くなりたい、お金持ちになりたいといった無意識が望んでいても、顕在意識が邪魔をして潜在意識にまで到達できないメッセージを、催眠によって送り込み、潜在意識の力を使って成し遂げることができる。
睡眠は催眠と同じ作用がある。レム睡眠とノンレム睡眠の間に夢を差し込むものである。毎日眠ることにより、自己暗示にかかり、あなたが望む姿に近づいている。だからこそ、眠る前に何を考えているのか、何を感じているのかを明確にしなさい。
怒りや苦悩ではなく、感謝と愛情を胸に抱きしめて就寝しなさい。
宇宙の果てから見た地球はペイルブルードットと呼ばれる。
恒星周辺において、惑星表面に液体の水が存在できる範囲を指すハビタブルゾーンが快適な気温である。気温がわずか1度上がるだけで氷河は溶け、地形が大きく変わる。
呼吸を変えて脈拍を変え、脈拍を変えて体温を変えなさい。
体温を変えて色彩を変え、色彩を変えて気分を変えなさい。
気分を変えて情動を変え、情動を変えて行動を変えなさい。
行動を変えて認識を変え、認識を変えて知識を変えなさい。
知識を変えて記憶を変え、記憶を変えて思考を変えなさい。
思考を変えて解釈を変え、解釈を変えて現実を変えなさい。
いかなる勝負事においても、最後まで残る者たちは互いの能力に大差がない。元FacebookのシェリルサンドバーグがTEDで語っているように、最後まで諦めず、粘り強く手を挙げ続けるしぶとい者が欲しいものを獲得するのである。
交渉の席に着かなければ、手を挙げなければ、声を上げなければ、勝利を手に入れることはできない。大半の者(とくに女性)は手を挙げないし、手を挙げてもすぐ下げる。手を挙げ続ける者はさらに少ない。
質疑応答タイムが終了したのに、まだ手を挙げ続けるくらいに貪欲になれ。棚からぼた餅を期待して待ちわびてもチャンスは来ない。積極的に持続する者にのみチャンスは訪れるのである。
また、4回倒産してから米国大統領になったトランプは、横柄な態度で有名だが、モーメンタムの力を謙虚に語っている。モーメンタムとは、浜辺に打ち寄せる波のように、継続的な勢いのある運動量のことである。高齢にもかかわらずトランプ大統領は世界中を動き回り、勢いが落ちないように動き続けている。
サイコロを振り続ければ必ず1が出るように、動き続けていれば、確率の女神はいずれ微笑む。実際のところ、10年間続けるだけで、大半の夢は実現するのである。
自立心とは、縦の自尊心と横の平常心、奥の好奇心で進んで伸ばして広げて立てるもの。
感情のコンパスが示す方向に行動すれば、好奇心を深められる。好奇心を深めると自尊心が伸びる。自尊心が伸びても足元が心許ない状態では、調子に乗って鼻をへし折られることになるだろう。生意気盛りが失敗経験を積み重ねることで、平常心が育まれて不動の裾野が広がる。
このようにして、好奇心、自尊心、平常心の三位一体化により、心の折れない自立心を組むのである。
守破離とは、「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」という千利休の言葉から生まれた伝統芸能における教育ステップである。
離とは、自分らしい形を作る独創段階である。
自分らしさを生むのは難産である。愛しい人をなくしたり、怪我や病気で半身麻痺になったり、財産を騙し取られて無一文になったり、圧倒的な絶望感や喪失感に打ちのめされた後、その空虚なギャップを埋めなければ死に至るため、命がけの跳躍によって、生まれ出る。
すべての造形行為は、現実をあなたの心情に合った景色へと変えるために存在する。あなたの心の色がしっくりくるよう、小さくても自分らしい欠片を集めて紡ぎなさい。
守破離の「破」
守破離とは、「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」という千利休の言葉から生まれた伝統芸能における教育ステップである。
破とは、基本形を改善する応用段階である。
髪を伸ばして留めるように、髭を伸ばして剃るように、爪を伸ばして研ぐように、小径の落ち葉を掃いてから少し撒き直すように、自然な風情に繊細な手を加えて残す、わびとさびの段階である。
さびとは、簡素や粗末になったもの。わびとは、さびの美しさを見出す心。
守破離とは、「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」という千利休の言葉から生まれた伝統芸能における教育ステップである。
守とは、師が教える形を忠実に守る基本段階である。
真似るは学ぶ。何事も、親や師を真似ることから、学びは始まる。上手な者を探して上手に真似ることが優位に立つ秘訣である。二流の形を忠実に真似しても一流にはなれない。一流の形を間近に観察して忠実に真似しなければ一流にはなれない。ご近所にたまたま一流の世界的な権威者がいることはまずありえない。福岡にいた高校生の孫正義は、東京の藤田田に押し掛けて将来を相談したように、主体的に積極的に行動しなければ一流の形を見ることはできない。自ら本を探して、著者に手紙を書き、教えを乞わなければ、一流の形を間近に見ることはない。一流の者に師事できた者は最初のスタート地点でライバルと圧倒的な差がつく。雲の上の人に手紙を出す習慣を持ちなさい。
基本を忠実に真似ると壁にぶち当たる。真似しようとするほど壁にぶち当たる。なぜそうなるのかと形を意識して考えるようになるから壁にぶち当たる。疑問を細かく噛み砕いて、小石を一つ一つ拾うように手にとり、時間をかけて吟味していくより他にない。あなたの情熱が試される期間である。
生命をコントロールする思考と感情は表裏一体である。思考が形を解釈し、感情が色を解釈することで、内側の精神世界と外側の物理世界をつなぎ、現実世界を生じさせている。
不機嫌な気分をよくしたいなら、運動して汗をかき、体の形を変えれば心の色が変わり、気分が良くなる。
ダイエットしたいなら、知恵を集めて足るを知り、心の色を変えれば体の形が変わり、体重が減る。
水=空×気×息
形=色×エントロピー×温度
色を出すほど形が出やすい。形をなくすほど色が消えやすい。色で形を分けて、形で色を定着させる。現実世界を変えるには、形と色を操作することが秘密の鍵である。形を模倣すること。色の情動を高めること。
比叡山延暦寺の天台宗には、一隅(いちぐう)を照らす、という理念がある。今、あなたのいる、その片隅で、あなたが天からの叡智で迷いをなくして菩薩になり、光を反射させれば、あなたの隣人が光り、町や社会が光る。小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らす、という社会運動に進化している。
一隅を照らすとは、闇を照らして無明を打ち消す、という一次解釈だけではない。
天体観測する天文台のように、太陽活動の光と影から引き寄せた思想である。太陽光は広く世間全体の闇を打ち消す一方で、個々の影をいっそう太く描く。
影とは、相似形の記憶を引き寄せる思考の根源である。
お天道様は個々の影をいっそう浮き彫りにするので、個々人は意識を正して、しっかりお天道様に顔を向けなさい、という集合的な二次解釈が隠されている。
犬にもスピッツのケンや柴犬のハナが存在するように、人にも男性の太郎さんや女性の花子さんがいる。
1本の線の切り方が無限にあるように、形の切り方には無限大のパターンがあり、逆に言えば、無限大のパターンの集合体が形を作っている。
無意識という抽象的な上位概念には、無限大の構成要素が存在する。ユングは集合的無意識と命名した。
個性と個性の異なるふたつの波動が交われば、ぶつかり、競争し、小さな一つの干渉縞を描く。
個性と個性の同じふたつの波動が交われば、重なり、調和し、大きな一つの干渉縞を描く。
群衆の中から同じ表情で笑い、同じ言葉を持つ一人を選び、そのワンパーソンにワンセンテンスを声がけることが、群衆全体に普及させる秘密である。
知恵の唇は、理解される耳にだけ開かれるのである。
黙っていては、伝わらない。
相手を選ばなければ、伝わらない。
相手に情熱を注がなければ、伝わらない。
自分事でなければ、伝わらない。
相手の仕草を模倣しなければ、伝わらない。
相手の表情を模倣しなければ、伝わらない。
相手の呼吸に合わせなければ、伝わらない。
相手の歩幅で進まなければ、伝わらない。
相手の頭の中にある素材を使って、編集しなければ、伝わらない。
話を細かく分けてから、言葉を紡がなければ、伝わらない。
過去の動機を知らなければ、伝わらない。
未来に期待を置かなければ、伝わらない。
相手の役割を決めなければ、伝わらない。
手を挙げ続けなければ、伝わらない。
あなたが腕や脚を動かすと、影絵は完全な形で模倣する。あなたの容姿に影絵がぴたりと張り付くのは、太陽活動の産物である。それでは月の活動の産物はなんだろうか?
地球から見て、月は太陽の400分の1の大きさだが、太陽より400倍近くに存在するため、同等の力を地球に発揮している。
太陽の産物とは異なり、月の産物は隠れて目に見えない。月の産物は波風である。太陽が形状を認識させ、月が波風を吹かせて記憶を引き寄せるのである。
つまり、太陽と月が、地球上に思考する生命を宿すのである。
トルステン・ハーフェナーの本には、数学教師の馬が計算するという逸話が出てくる。
キース・バリーの話には、ロシアの盲人が指先で紙幣をなぞり、製造番号を読み当てるという逸話が出てくる。
馬がなぜ数を当てるのか、盲人がなぜ番号を言い当てるのか。
馬は出題者に表れる癖を見て、盲人は出題者が鳴らす癖を聞き、解釈したのである。
スマホカメラで血圧を測る技術がある。人が嘘をつく時に表れる顔面の血流を読み取り、AIがパターンを解釈する嘘発見技術を応用したものらしい。
現実を変えたいなら、馬のように2度は見なければならないし、盲人のように2度は聞かなければならない。細かく何度も認識するものに、記憶が引き寄せられ、解釈できるようになるのである。
無意識の本質は快楽であり、意識の本質は苦悩である。幼年から壮年にかけて意識がはっきりするほど苦悩が深まり、死に際が見え始める壮年からは意識がぼんやりし始め、ぬるま湯に浸かるように心地よくなり、四苦八苦が薄れる。
心地よく感じる人口が大半を占める高齢化社会が訪れた現在は、世界的にも、歴史的にも、黄昏の老衰期を迎えるはずである。
ほぼすべての出来事が想定内に収まり、予測可能でコントロールできる秩序社会の解体である。下克上のある戦国社会の再来とも言える。
飢餓に喘ぎ、教育は行き詰まり、労働は減って余暇が増え、反社会勢力と衝突する。
高齢化社会の終焉まで続くスローライフな時代の幕開けである。
ギヴァー 記憶を注ぐ者、という地味な映画がある。
人々から、色彩や音楽、ダンス、動物など一切の記憶を奪い、愛や恋などの欲情を薬剤で抑制することで、格差や差別をなくした人工的な理想郷が描かれている。
理想郷の住人には過去の記憶がなく、知識は新しく定義されて刷り込まれているため、例えば、人を殺すことは、解放するという認識であり、抵抗感や罪悪感はない。(私たちが魚や家畜を殺して食べることに罪悪感を感じないように)
記憶を取り戻した主人公は、景色に溶け込んでいた対象の知識を持ち、対象を区別し、対象に情動を感じ始めることで、愛情や勇気、恐怖、苦悩を覚えてたじろぐが、新しい世界が、今この瞬間、すぐ手に届く場所に存在していたことに気づく。
新しい世界こそが正義だと信じる主人公が、理想郷を飛び出して最後にたどり着いた越境場所が、聖しこの夜を合唱している、よそ様のホームだった。
知識と記憶、認識と解釈が、世界をひっくり返すほどの秘密の媒体であることを、キリストのメッセージとして伝えている。
映画の出来や是非はさておき、同じテーマなので紹介しておく。
偽りのない確かな真実を伝える。
天体の動きは地上の動きに共鳴し、地上の動きは天体の動きに共鳴し、天体面と地上面は鏡映している。天体観測することは天地を合一する奇跡的な行為である。
天体の星座を観る者の解釈によって、地上の相似形が引き寄せられるように、客観的な事象を観る者の知識の照らし合わせ方や記憶の引き出し方によって、主観的な世界は生じている。
太陽と月による引力は、海風の潮干力をもって地上に生命を宿す。
生命は水によって成り立っている。水が雨となって地に降り注げば、その勢いは完全無欠である。
土木を燃やして、水と炭に分けなさい。水は地から天に昇り、ふたたび地に降り、生命を育むエネルギーと汚れを清める洗浄力になる。
燃焼作用と同じように、事象を分解して再構築することで、あなたは複雑な事象からシンプルな知識を手に入れ、迷いが消え去る。
河川氾濫と同じように、知識はすべての力を凌ぐため、あらゆる感情に勝り、あらゆる信念を破壊し、あなたの世界を新陳代謝させる。
事象に対する知識が、あなたの世界を創造しているのである。
このように深く洞察する叡智を持つため、私は三倍優れた賢者と称されるのである。太陽活動から読み解く私の講釈を終える。
Wikipediaから引用する。アイザック・ニュートンによる英訳が彼の錬金術文書の中から発見されており、それは現在、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ図書館に所蔵されている。以下はその和訳である。
これは真実にして嘘偽りなく、確実にして最も真正である。
下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、それは唯一のものの奇蹟を果たすためである。
万象は一者の観照によって一者に由って起こり来たれるのであるから、万象は一つのものから適応によって生じたのである。
太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。
全世界におけるあらゆる完成の父はここにある。
それが地に転じるならば、その力は円満となる。
地を火から、微細なものを粗大なものから、非常なる勤勉さで丁寧に分離するがよい。
それは地から天に昇り、ふたたび地へと降って、上位のものと下位のものの力を受けとる。
この方法によってそなたは全世界の栄光を得、
それによって一切の無明はそなたから去るであろう。
その力はすべての力を凌ぐ。それはあらゆる精妙なものにも勝り、あらゆる堅固なものをも穿つからである。
かくて世界は創造された。
これに由って来たるところの驚くべき適応、その方法(もしくは過程)はここにある通りである。ゆえにわたしは全世界の哲学の三部を具するをもってヘルメス・トリスメギストスと称される。
太陽の作業についてわたしの語ったことは完遂し畢る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エメラルド・タブレット
http://www.hermeticfellowship.org/Collectanea/Hermetica/TabulaSmaragdina.html
目の前の景色は、過去から未来へと流れるように時を刻む。時間の流れをタイムラインという。タイムラインの見方には2通りあることを知ってほしい。左から右に車が走り去るような映像がスルータイムであり、自らが車を運転しているような映像がインタイムである。
過去とは記憶に残る確かなものと定義し、未来とはまだ見ぬ不確かなものと定義しておく。それを前提にして、自宅の洗面台の蛇口をひねり、水流の渦の中にインクを落とした場面を想像してみよう。インクの滴は秩序を失い、無秩序に発散していく様子を思い浮かべるはずである。これはインクの状態が過去から未来に移行したと言える。同じように、赤いりんごは腐り、鍛えた筋肉は衰える。目の前の景色は左から右に車が走り去るように、過去から未来に移行しているように見える。
しかし、知識を一つ増やして、こう解釈するとどうだろうか?量子力学には二重スリット実験と呼ばれるものがある。波状の性質を持つ電子は、観測されると、たちまち粒状の性質に変わるという量子実験である。実験は、あなたが瞼を瞬きするたびに、波状が粒状に変わり、素粒子が原子に変わり、原子が分子を変わり、分子が物質に変わることを予言している。
つまり、考えようによっては、毎秒、世界がリセットされては再構築されており、波動的で不確かな未来が瞬時に凝固して、物質的で確かな過去に遡っていると言える。自らが車を運転しているフロントガラスを介して、波動が粒子に変換され、未来から過去に遡っていると解釈できるのである。
時間を遡る見方をなぜ学ぶ必要があるのか?それはあなたが後悔した選択をやり直せるからである。間違えた選択を無効にできるからである。
生命の根源は、生きることと、子孫を残すことである。
理想と現実のギャップを埋めるために、違和感のある隙間を埋めるために、不本意な穴を埋めるために、生きている。
発汗の色気、振動のリズム、時間のインタイムを揃えると、生きている実感が高まり、沸き立つ情動が殺風景な真空を埋めて艶かしい景色に変えてくれる。
雛が殻から孵るように、その景色が命を宿し、息吹けるかどうかは、適温を持続できるかに懸かっている。
熱力学の授業で、熱エネルギーは位置エネルギーと運動エネルギーに連動したことを思い出してほしい。位置エネルギーの視座と運動エネルギーの呼吸。つまり、息を見つめる瞑想が、持続性の秘密の鍵穴なのである。
匂いは記憶に直結している。匂いで記憶を嗅ぎ分けている。知らないものは見えない。知っていても興味のないものは見えない。忘れたものも見えない。見えている景色は全体の一部でしかなく、見えていない景色で囲まれている。逆に言えば、目の前の景色は、知っていて、興味があり、忘れていない、記憶の断片で成り立っている。
知識を増やし、解釈を選び、記憶を変えれば、脳幹網様体が変わり、景色は違って見えてくる。
意図的に操作して、見たい景色を創り出し、その景色に麗しい香りをつけて、気持ち良い情動を記憶しなさい。身体的な刺激や発汗を伴って、快楽の情動をアンカリングしなさい。
情動が高ぶる幸せな記憶を嗅ぎ、今この瞬間に生きていることを感じなさい。あなたの内から漲る生命力を感じなさい。
食べ物をよく噛むことを咀嚼という。子供の頃、あなたも親や先生からよく噛んで食べるように注意されたことだろう。なぜよく噛んで食べなければならないのか?大人になってからも理解できず、せわしない休憩時間に昼飯を飲み物のように食べる人も多いことだろう。
食べ物を噛むことで砕ける。砕けることで、栄養の吸収がよくなる。このような説明を受けるが、咀嚼は食べ物だけに限定された行為ではない。食べ物と同じように、景色も噛み砕くことで、知識の吸収がよくなるのだ。
音楽は、音階で分ける。
文章は、文節で分ける。
形は、色で分ける。
場所は、物で分ける。
地図は、座標で分ける。
いったん分けてから、再構築しよう。
音階をつなげて、音楽にする。
文節をつなげて、文章にする。
色をつなげて、形にする。
物をつなげて、場所にする。
座標をつなげて、地図にする。
再構築した景色は、無駄が取り除かれて本質だけが残るため、あなたは秘密を手に入れることができる。
デレク・シヴァーズは、無意識を呼び起こし、集団を形成し、社会運動を巻き起こす秘術を明らかにした。人智を超えた無意識にはミラーリング作用がある。目の前の人物と同じ動作をしてしまうのだ。
1. 世間を改革するのは、よそ者、わか者、ばか者。
2. 最初のフォロワーが、ばか者をリーダーに変える。
3. 最初のフォロワーが、群衆に真似方を伝え、群衆は最初のフォロワーを真似る。
4. リーダーは、最初のフォロワーを対等に扱わなければいけない。
5. 第三者が加わった時点で集合になり、ニュースになる。
6. 臨界点に達すると、参加するリスクがなくなり、参加しない方がばかになる。
7. リーダーは自分ではなく社会運動に価値を置く。
雨傘運動の黄之鋒をリーダーに変えたのは、周庭の模倣である。最初のフォロワーが秘密の鍵だ。百聞は一見にしかず。さあ、リンクをクリックしてTEDをご覧あれ。
デレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」https://youtu.be/V74AxCqOTv
マッキンゼーが開発した問題解決手法に「空・雨・傘」というシンプルで強力なフレームワークがある。例えば、空が曇っていて、雨が降りそうだから、傘を持って出かける、というふうに解決案を導出する。
一つ一つ詳しく見ていこう。
最初の「空」は、認識である。事実を見たり聞いたり、雰囲気を感じたりして、データを測定し、状況を認識するのである。
次の「雨」は、解釈である。事実や雰囲気のデータをあなたの思考回路に流して、次の場面を予測するのである。(y=ax+bのような方程式を作り、yを予測する)
最後の「傘」は、行動である。予測した次の場面に対する解決候補から最適解を選び、行動するのである。
それでは、物理的な「空・雨・傘」の解法が、精神的な解法としても適用できることを紹介したい。職場に遅刻したAさんが、上司の席から自席に戻って来たという場面を想定しよう。
最初の「空」は、認識の目配り
Aさんの顔色や姿勢やしぐさに着目し、いつものAさんの様子と比較する。
次の「雨」は、解釈の気配り
Aさんの外見の変化だけではなく、内側にも入り込み、Aさんの心情の波の推移を指でなぞる。
最後の「傘」は、行動の心配り
心情が下向きなら同情の言葉をかけ、心情が上向きなら励ましの言葉をかける。
Aさんとの間柄を良くしたいなら、つまりAさんとのギャップを埋めたいなら、表情やしぐさを模倣して、心情の推移に合わせて、言葉を選び声をかけること。
0,1,2,3,4,5,6,7,8,9の数字記号があり、その組み合わせによって無限の数を表記することができる。数は単なる値に見えるが、一つ一つに意味が隠されている。大きな数は解釈できないが、小さな数なら解釈できる。
例えば、1は何を意味するのか?人差し指である。それなら、人を指す指を並べた11は何を意味するのか?人と人の間に浮かび上がる形は、社会である。
悩みの原因の80%は人間関係だと言われている。人間関係を改善できれば、あなたの現実は理想に一段と近づいたとも言える。人間関係を改善する習慣は、相手を模倣することである。
子が親の思考を模倣し、行動を模倣するように、あなたが成りないロールモデルを探して、身近に寄り添い、息づかいからしぐさまで細部を観察し、正確に測定して模倣しなさい。神は細部に宿るのである。
イコール記号は、息する出入口の二本線であり、秩序を維持する循環であり、エネルギーの等価交換を示唆している。
波動=粒子
感情=思考
色彩=形状
情動=模倣
情熱=行動
熱意=習慣
左辺の熱エネルギーは、右辺の色や形に姿を変えては、左辺の熱エネルギーにまた回帰する。左辺と右辺を循環しながら、徐々にではあるが、右辺の現実の色や形を理想的なものに再構築していくことができる。
空を覆う雲のように、原子を覆う電子は色や形を自由自在に創造できる。
コヴィー博士の「7つの習慣」における第1の習慣は、主体性を発揮することである。主体性を発揮することは、目的を持つことよりも、最優先の習慣でなければならない。
何度も言うが、人間はどのような劣悪環境にも耐える性質がある。あなたが主体性を発揮しなければ、あなたの受け身の態度に合わせて、周囲の人も受け身で反応するため、加速度を増して坂道を転がり落ちるように、孤独なニート生活を営むはめになる。さすがに放ってはおけない。
心にやましさがなく、人様に迷惑をかけなければ、今すぐ行動しなさい。立ち上がって挨拶するような小さなことでまったく構わない。魚のようにうろうろとアイドリングしなさい。
あなたの態度が周囲の人に与える影響は、あなたの想像以上に大きい。今回伝えたい秘密は、主体的な態度が他者をコントロールする鍵なのだと言うことである。
人間は生まれながらにしてミラーリングの性質を持ち、相手を模倣するかのように鏡映するのである。あなたが視線をあなたの左手に向けると、相手もあなたの左手に視線を向ける。あなたが微笑むと相手も微笑む。しぐさだけではない。心の情動も相手に感染している。
主体性を発揮する習慣を持たなければ、あなたの現実と理想のギャップが埋まることはない。
機微の情動や観念運動は無意識に忠実だか、行動は思考に忠実であり、あなたの思考を鏡映するように動くものである。あなたの思考の在り方が行動に出るため、行動規範となる信条や理念を持つことで、思考の乱れを観察できる。
アファメーションによるフィードバック手法がある。期待する行動規範を現在形で表現し、心地よい情動を添えて記憶に植え付け、事前に宣言しておくものである。そうすることで、あなたの行動が規範を外れると心地よい情動にずれが生じるため、無意識がそのギャップを埋めようと作用してくれる。
意識や思考や感情といったものは絶えず崩れ、流れ去るため、行動によって形を定着させることが秘密の知恵である。エネルギー保存の法則に従って、無形の熱エネルギーを有形の位置エネルギーや運動エネルギーに変換し、思考を保存できるのである。
パスカルが看破したように、人間は考える葦である。考える能力は妄想する能力であり、嘘をつく能力と言い換えられる。
嘘や妄想は、信念や希望にも進化するため、絶対悪と決めつけられないが、詐欺や洗脳があとをたたないのは、人間が本質的に嘘つきで妄想癖を持つからである。
息を吸うように嘘をつく輩から身を守るために、身辺情報や機微情報から人物像を組み立てるプロファイリングという技術が開発されている。なぜ今日、その色を着て、そのブランドを持ち、そこに座るのか?なぜ姿勢が前に傾くのか?なぜ口角が上がるのか?なぜ瞬きするのか?持ち物や態度やしぐさから読み取れることは多くある。
持ち物や態度やしぐさは、声と同様に、心の表れであり、持ち物の色やブランドは気分や気質を象徴化しており、同意する場合は姿勢が前に揺れ、反対する場合は姿勢が後ろに揺れる。また目線と同様に足先は関心のある方角を向く。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、をお勧めしない。君子危うきに近寄らず、をお勧めする。あなたの直感は正しく、ヤバそうな輩はやはりヤバいのだ。結果的にヤバくなかったとしても生きる世界が違うのだ。あなたがあなたらしく生きるためには、近寄らないことだ。
内なる情動と合わせて、表出を測るものさしを持たなければ、現実と理想のギャップは広がり始める。
スピリチュアルな書籍やセミナーで必ず登場する三種の神器が、幸せと感謝とスクラップブックである。スクラップブックに貼り付けた幸せな世界が、感謝するだけで実現する、という触れ込みで集客している。
この触れ込みの猜疑感は「感謝するだけ」という部分である。スクラップブックに貼り付けた幸せな世界が、「世間様に感謝して、働き続けるだけ」で実現するという触れ込みなら、納得感が出るはずだ。
働くとは何か?働くとは、力を使って影響を及ぼすことである。部屋に引きこもりのニートさんも漫画を読んだり、ゲームくらいはするだろう。つまりニートさんも働き続けてはいるのだが、「世間様に感謝していない」のが問題なのだ。
力の影響範囲を漫画本やゲーム機や自分自身に留めず、世間様に広げなさい。ニートというマイナーな状況にいるあなたは、ある意味、希少価値があるのだから、世間様に感謝して、漫画のレビューやゲームの実況くらいは配信しなさい、とアドバイスを贈りたい。
感謝と対になる言葉は愛情である。感謝すると愛情を受け取れる。不特定多数の愛情がどんどん増えると、親から子に与える無償の愛と同じ性質に変わってくる。つまり、見返りのないあなたへの投資に変わってくる。
感謝の量を測ってみなさい。あなたに足りないのは、「世間様への感謝だけ」なのだ。
色は、目で見れるだけではなく、心で感じることもできる。色は、外側の世界と内側の世界に通じる媒体なのである。おまけに色は数値化して操作しやすい媒体でもあるため、景色から不自然さや違和感をなくして臨場感を高め、情動を引き寄せやすい。
虹色を反射するものは、臨場感が高くなる。
階調が滑らかなものは、臨場感が高くなる。
影の奥行きを持つものは、臨場感が高くなる。
つまり、色の情報量を増やすと、臨場感が高くなる。
外側の感覚と内側の情動をつなげる色彩を広告媒体に使わない手はない。Appleが、色とりどりの音楽デバイスで、ブランドを訴求するのは、心理的効果が高いからだ。催眠療法のように、虹色でブランドに情動をアンカーできれば、ブランドをトリガーにして虹色の購買意欲を呼び覚ますことができる。
色だけではなく、音、香り、味、手触りの五感を刺激する媒体は、気分を変えることができる。気分で風景は変わらないが、気分で景色は変わる。例えば、街中でおかめが笑う同じ看板を発見しても、気分が悪ければ気色悪いやつに見えるし、気分が良ければかわいく見える。
好みの色が変われば、付き合う仲間や、出入りする店や、手に取る品物が変わり、しだいに身の回りの生活が変わっていく。
経済学の始祖であるアダムスミスは、幸福とは健康なこと、借金がないこと、やましい気持ちがないことだと定義した。
正義とは、やましい気持ちにならないこと。やましい気持ちにならないように、正義の道を選び続けることで、幸福のゴールにたどり着けるのである。正義は違和感や不自然さを排除するために感じるものであり、幸福を下支えする条件となる。
心に問いかけると、正義は白を感じ、不正は黒やグレーを感じる。まずは違和感や不自然さのない正義の道を選びなさい。それから七色の中から、臨場感のあるときめく物を選びなさい。正義感と臨場感のダブルスタンダードが選択の基本である。
人生はゲームのように、街や森を歩き旅をしていると、行く手に立ち塞がる試練やモンスターに出会うもの。どちらの道を進めば良いか、どちらの剣を握れば良いか、選択の時に直面する。違和感のある外観や不自然な言葉に惑わされず、自分自身の心に問いかけ、やましいと感じた方が不正の道で、呪われた邪剣である。やましくないと感じる正義の道を選び、ときめきを感じる聖剣を握り、試練と敵に挑戦しなさい。
やましくないと感じる正義の道を選び、ときめきを感じる聖剣を握り、試練と敵に挑戦しなさい、と端的に伝えて終わりたいところだが、心の主観は長期目線なので、短期目線では試練や敵との間に力の差がある。その差を測り、その差を埋めるために、客観的な数値化とマネージメントが行われる。
対象や課題を、重要度、緊急度、難易度、影響度で分類し、すぐに着手できて、簡単に成果が出て、周囲への波及効果の高い施策を見つける。
施策優先度の計算式は、
・効果=構成比×経年推移×伸びしろ×施策
・優先度=効果÷工数
このように、外側の計測と内側の情動を紐づけて、現実世界を変えていく。
絵が上手な人と、下手な人の違いは何か?結論から伝えると、その絵をどこから持って来ているかに尽きる。絵が上手な人は左から右に絵を写しているが、絵が下手な人は心から絵を写している。
絵が上手な人は、左に配置した物を右に描き写すので、正確で写実的である。いきなり細かな部分から書き始める人もいる。
絵が下手な人は、心から引き出した曖昧なイメージを描き写すので、抽象画のような絵になる。全体の雰囲気から描き始める人が大半である。
上手な生き方の人と、下手な生き方の人の違いも、同じことが言える。
現実を上手に描き直したいなら、色鮮やかな内側の精神世界では情動の臨場感を観察し、無味乾燥な外側の物質世界では対象を数値で正確に模倣することに執着しなさい。
外側の模倣に内側の情動が連動した時、思考の現実化が始まり、正確な描写で現実を描き直せる。
観察するコツは、外側と内側の両面から対象を観ることである、対象を外側から観るだけではなく内側からも観るために、対象の中に入り込み、対象の視点から体験をなぞって感じる、それが秘訣である。
外側の法則はニュートンの古典物理学から成り、ニュートンは、アダムとイブと同じ知恵の果実を食べて物質の特性を解明した。物質は慣性、加速度、反作用の特性を持つことを証明した。
もう一方で、内側の法則はシュレーディンガーの量子力学(波動力学)から成り、二重スリット実験の気味の悪い結果から、物質が波動性を持つことを証明した。
物質が波動性を持っているとは、位置を特定できないもしくは運動量がない、という意味であり、より端的に言うと、生きているもしくは死んでいる、という意味になる。シュレーディンガーの猫というキーワードで検索してみてほしい。さらに言い換えると、観察する前から物質の状態が決まっているのが外側の世界であり、観察するまで物質の状態が決まっていないのが内側の世界なのである。
また驚くべきことに、観察する前の物質の状態を磁気でコントロールできることが量子実験から分かっている。磁気を使って内側の世界をコントロールし、外側の世界に出力できるのである。
一人なら対話は生まれない。真似る相手がいるから対話が始まる。イブにアダムがいたように、イザナミにはイザナギがいて、一人がアと言えば、もう一人がウンと返す。阿吽の呼吸から対話が始まる。言葉は音節をつなぎ合わせるものなので、前後という時間の概念を本質的に持つ。そして、時間の始まりが、未来への不安と、過去の後悔と、現在の苦悩の始まりでもある。
言葉に幅を持たせるほど時間軸は伸び、二人の苦悩は罪深くなっていったであろう。そして言葉は二人の間で定義され、知識になる。
同じ雲を見ても、知識のない獣は気づかないが、知識のある人は気づく。同じ風を聞いても、知識のない子供は気づかないが、知識のある大人は気づく。同じ石を見ても、愚者は気づかないが、賢者は気づく。
知識がなければ、景色を見ていても、ものが見えていないが、ものを区別する知識が増えるほど、景色からものを取り出して加工することができるようになる。
脳内の精神には、大きく分けて、無意識と意識があることをよくご存知だろう。無意識の大河が氾濫しないように、意識が水路を整えてコントロールしている。
無意識には、時間の概念がなく、未来の不安もなければ過去の後悔もなく、今この瞬間の幸福しかない。無意識の大河に飛び込み、感覚がもたらす大量情報の激流に抗うことなく身を委ねて意識を遮断すると、前方の視界がスローモーションに感じられる今この瞬間のゾーンに入れると言われている。
世界中に存在する数多くの宗教は幸福になることを理想とし、聖書では知恵の果実を戒め、禅道では無我の境地を求め、経典に幸福論を書き記し、伝えている。
皮肉なことに、無意識が施す今この瞬間の幸福を代償にして、意識は成り立っている。無意識が天国であり、意識が地獄なのだ。未来への不安と、過去の後悔と、現在の苦悩を生み出してまで、意識はなぜ必要なのか?獣のままのアニマルスピリットで生きることになぜ満足できないのか?なぜ人は禁断の果実を口にして、自我の境地に至ったのか?
それは幸福が持続しないからである。あっという間に形が崩れ、命が尽きるからである。
コップの水にインクを垂らすと、どんどん混じり合う様子をエントロピー増大の法則という。外部環境と遮断されている場合は、水とインクが混じ合ってエントロピーが増大する一方だが、外部環境に開いている場合は、コップに水をどんどん注ぎ足しては増えすぎたエントロピーを排水することで、カオスにならずに、秩序を保てる。
生物は食物を摂取しては排泄することによって、生命の秩序を保っている。精神も同じである。新しい知識を学習しては忘却することによって、思考の秩序を保てる。
天と地の間にある空を、あなたの理想の景色で埋め尽くすには、学習と忘却によって思考フレームが錆びつかないように保ち、現実の景色細胞をどんどん新陳代謝していかなければならないのである。
人間が1回に吸い込む空気量は500mlくらいで、その中の20%が酸素である。酸素は火によく燃える生命の原動力である。
太陽光を集中させて藁を発火させるように、口から発した息は、思考の形をなぞって命を宿し、声に変わる。そして、その声は情動のリズムに乗り、足踏みや拍手を従えて音楽と化し、存在感を遥かに増して場の雰囲気を一変させ、人間たちを熱狂的に奮い立たせる。
このようにして、頭の中の思考は空気を操り、現実化していく。最後に、マザー・テレサの残した言葉を伝えておこう。
思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
空気があるのは当たり前。鼻から息を吸うのは当たり前。口から息を吐くのは当たり前。息をすることで生き長らえ、息を止めれば死ぬことも知っている。
生まれてから絶えず休まず繰り返す生命活動であり、当たり前すぎて、見えない、聞こえない、感じない無意識の生理機能にはたと気づき、息をすることが人生で一番楽しいと達観した人たちがいる。ヨガの達人や音楽家、水泳選手、医者たちである。
浅く短く胸で吸う肺呼吸では、人を動かすほどのエネルギーを吐き出せない。横隔膜を深く下げる腹式呼吸なら、政治家のような自信に満ち溢れ、歌手のような響き渡る大きなエネルギーで、人に感動や喜びを与えることができる。
子供の頃、洗面台に栓をして水を溜め、その水に顔をつけて何秒間息を止められるか競い合ったものだろう。潜水競技に限らず、スポーツは酸素を効率的に使うことが、勝敗の決め手になる。
呼吸の質を注意深く観察するだけで、洞察力、思考力、生命力をレベルアップできるという、密教の秘技を手に入れられるのだ。
太陽光をガラスのプリズムに当てると、虹色の帯に分解できる。その帯を注意深く観察すると黒い線が走っていることに気づく。ニュートンに先駆けてフラウンフォーファーが最初に発見したので、フラウンフォーファーの暗線と呼ばれるものだ。太陽光は地表に届くまでに、その一部を誰かに食べられているのだ。誰が光を食べているのか?犯人はさまざまな原子である。
物質は光を吸収するのである。植物の光合成が分かりやすい例である。短い波長を吸って長い波長をはね返すものは赤く見え、長い波長を吸って短い波長をはね返すものは青く見え、すべての波長を吸うものは黒く見える。
肌や髪や瞳の色が異なるように、あなたが食べている光は他者とは異なり、あなたが反射している光は他者とは異なる。あなたが光を食べ尽くして、あなたの心の中の景色と体温が鮮やかで快適に感じるほど、あなたの目の前の風景と気温は殺風景で不快になる。与えなさい、そうすればあなた方も与えられる、というキリスト教の原理がこれである。
動物によって世界の景色が異なって見えていることは科学的に実証されている。人間の目は、赤、緑、青の3色を重ね合わせて景色を見ているが、鳥や虫の目は、赤、緑、青、紫外線の4色を重ね合わせて景色を見ている。また当然のことだが色弱や色盲といった個体差もある。
色には波長があり、その色が違って見えているということは、その模様や形状や音声、温度も違って見えているということである。
つまり、あなたと同じ景色を他人も見ていると思うのは、錯覚なのである。
あなたにとってのy=ax+bは、彼にとってのy=cx+dであり、彼女にとってはy=ex+fなのだ。
あなたが見たり聞いたり触ったりできる現実は、あなたの妄想である、という懐疑的な発想は、古代からプラトンのイデア論やデカルトの方法序説で語られている。プラトンやデカルトが正しくて常識が間違っているなら、現実が妄想なら自由自在にコントロールできるはずだ。
デカルトは、方法序説の中で、観察の方法論を次のように述べている。
1. 明証。真であると認めたもの以外を受け入れないこと
2. 分析。問題を出来るだけ小さな部分に分けること
3. 総合。単純なものから始めて複雑なものに達すること
4. 枚挙。見落としがないか、全てを見直すこと
つまり、観察する対象物だけを手に取って座標に配置し、虫になったつもりで内側にもぐり込み、鳥になったつもりで外側をぐるぐる見回し、内部と外部の両面から対象物を測ること。また、魚になったつもりで過去から未来へと体験をなぞって、快適と不快の両面から対象物を感じること。
景色から断片を切り取って観察することが第一歩になる。そして、断片を集めて、積み上げて、景色を再構築する。
あなたが何に関心を持って観察するかによって、現実は大きく変わるのだ。
レオナルドダヴィンチが言ったように、人間は、見ることなく見る。聞くことなく聞く。感じることなく触れる。味わうことなく食べる。筋肉を知覚することなく動く。匂いを嗅ぐこと息を吸う。考えることなく話す。
人間は選択することをやめると迷宮を彷徨うことになる。いつしか劣悪な環境の中で耐え凌ぎ、当たり前のように劣悪環境に慣れる。
あなたには選択する自由があることを忘れてはいけない。いつでも、どこでも、あなたは選択できるのだ。認識は選択、態度は選択、言葉は選択、行動は選択、今のあなたは過去のあなたの選択で出来ているのだ。
あなたが謙虚な姿勢で不自然さや違和感に気づけるなら、あなたの心は正しく判断できる。こんまりが物を手に取って、ときめきを感じるものだけを残しているように、心地よいものを増やし、不快なものを減らすことが、選択の基本である。
森の奥深くで道が2つに分かれていたら足跡の少ない方を選べ、という格言があるが、苦難の道にときめくなら苦難の道を選ぶこと。
正しい問いや願いを立てることが一番難しい。問いや願いが一発で決まることはない。ぶれて、揺れて、緩んで、波打ちながら、時間をかけて定まる。問いや願いが大きいほど、ぶれ方、揺れ方、緩み方も大きくなる。しかし、いったん、正しい問いや願いを立てることができたなら、あとは自動運転車に乗ったも同然である。達成の成否を決めるのは、問いや願いそのものなのである。
あなたの意志ではなく、あなたの心が望む問いや願いしか叶わない。寝ても覚めても息をするように繰り返し情動を呼び起こす問いや願いしか叶わない。逆に言うと、怒りの感情に襲われる問いや願いなら叶わない方がいいが、やはり叶う。
あなたの意志ではなく、あなたの心が望む問いや願いなのかを確かめるには、その問いや願いが情動とセットになっているかを見ればよい。つまり、その望みの問いや願いを見たり聞いたり触ったりすると、喜怒哀楽の感情が沸き立ち、動かずにはいられなくなるような情動に駆られるかどうかで確認できる。
例えば、あなたは、ある車が欲しいとしよう。あなたはその車の写真を瞳に焼き付けて目を閉じると、頭の中に、はっきりと目の前にその車が現れて、車両を前から、横から、後ろから、下から、上から、外側から、内側から、自由自在に見て回り、エキゾーストノートを聞き、ボンネットやドアノブ、シートやハンドルを触って匂いまで感じるか?あなたの鼓動は高鳴り始めて、子供のように椅子に座って運転の真似をせずにはいられないか?本物を手に入れるまで、木材やダンボールで模型を作ろうかと頭によぎったか?心から望むものは圧倒的な情動に駆られるのですぐに分かるものだ。
無意識は、現実と空想を区別できないため、現実と空想のギャップを埋めようと、あなたの体を日夜動かして具現化させようとする。嘘から出たまことだ。石の上にも三年と言われるとおり、三年も継続できたら、間違いなく、あなたはその車を手に入れていることを約束しよう。
人間という生き物は、驚くほど劣悪な環境を耐える性癖がある。あなたは、どの道、耐え難きを耐え凌ぐのだから、前向きな情動が湧くことに目を向けて耐えてください。