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思考

幸福のありか

脳内の精神には、大きく分けて、無意識と意識があることをよくご存知だろう。無意識の大河が氾濫しないように、意識が水路を整えてコントロールしている。

無意識には、時間の概念がなく、未来の不安もなければ過去の後悔もなく、今この瞬間の幸福しかない。無意識の大河に飛び込み、感覚がもたらす大量情報の激流に抗うことなく身を委ねて意識を遮断すると、前方の視界がスローモーションに感じられる今この瞬間のゾーンに入れると言われている。

世界中に存在する数多くの宗教は幸福になることを理想とし、聖書では知恵の果実を戒め、禅道では無我の境地を求め、経典に幸福論を書き記し、伝えている。

皮肉なことに、無意識が施す今この瞬間の幸福を代償にして、意識は成り立っている。無意識が天国であり、意識が地獄なのだ。未来への不安と、過去の後悔と、現在の苦悩を生み出してまで、意識はなぜ必要なのか?獣のままのアニマルスピリットで生きることになぜ満足できないのか?なぜ人は禁断の果実を口にして、自我の境地に至ったのか?

それは幸福が持続しないからである。あっという間に形が崩れ、命が尽きるからである。